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映画人列伝

木村威夫(美術監督)

[ 第1回 ] 撮影現場で「グレタ・ガルボ?なんだそりゃ?」って

「今度高校生の映画コンクールで審査員をやるんだけどね、惜しいんだよね。狙いはいいんだけど、ただ映ってるだけで、表現が出来ていないんだよね」
インタビューの冒頭から、美術監督の木村威夫は笑いながら語ってくれた。現在、日活芸術学院で美術コースの責任者として講義を務めるほか、東京工芸大学、京都造形芸術大学で教鞭をとるなど、後継の育成に忙しい。
美術の世界に入ったのは、新劇の時代から。初めは日本映画に興味はなく、演劇美術に傾倒。だが日本が2・26事件から太平洋戦争に入っていく中、革新的な新劇は迫害され、中心者たちは次々に逮捕された。給料も遅配が続き、威夫青年は不安に陥る。
その時に兄弟子に声をかけられ、美術助手として日活に入る。「映画の現場にいるおっさんに『グレタ・ガルボ? デートリッヒ? 何だそりゃ?』なんて質問されてね。それから『モロッコ』って何だ?』なんて聞いてくるんだな。もう嫌になっちゃって」新劇という最先端にいた威夫青年は、ひどい世界に入ったと嘆く。だが運命は面白いもので、戦争のために先輩たちは次々と徴兵され、一年後、威夫青年は美術の責任者となってしまう。「いい加減にやってたもんだから、さあ困った、となってそれから追い込まれる人生が始まったんだよな」と木村は笑う。

生年月日:1918年 出身地:東京都 
1935年、舞台美術の大家伊藤熹朔の許に弟子入り。1941年に日活に入社し、1945年「海の呼ぶ声」(伊賀山正徳監督作品)でデビュー。1947年からはフリーランスとして、「サンダカン八番娼館」(1974年、熊井啓監督)、「ツィゴイネルワイゼン」(1980年、鈴木清順監督)などを手掛け、「式部物語」(1990年、熊井啓監督)では、モントリオール世界映画祭・最優秀芸術貢献賞を受賞。近年でも「夢幻彷徨 MUGEN-SASURAI」(2004年)で監督を務めるなど、精力的に活動を続ける。近年の作品は、「父と暮せば」(2004年、黒木和雄監督)「オペレッタ狸御殿」(2004年、鈴木清順監督)など。毎日映画コンクール・美術賞は、第9回(1954年)「或る女」「黒潮」、第36回(1981年)「謀殺・下山事件」、第41回(1986年)「海と毒薬」「ウホッホ探検隊」「夢見るように眠りたい」で受賞している。