[ 第2回 ] その映画に関わる全員の熱が、名シーンを生み出す
昔から技術については深く考えたことはないと木村は言う。それより精神的なもの、心こそが大切だと。「映画は人間が作り、人間が見る。大切なのは、多くの人間が思いをひとつにして映画作りに注ぐことだと思っている」
名作「また逢う日まで」を例に、「心に残るのはストーリーではなく、あるシーンであったりする。あの映画で覚えているのは、窓越しのキスシーンだけなんだよな。そういうシーンを作るのは、技術じゃなくて気持ちなんだ。その映画に関わる全員の熱が、名シーンを生み出すんだ」と木村は熱弁する。
日本映画は、監督の下、すべての人間がひとつの映画に参加し、一体となって作り上げてきた。だが最近の映画は、分業化・専門化し過ぎている。木村はこれを危ぶむ。
「黒澤監督の映画は、全員が参加し、全員が集中して作品を作った。作っている側にとっては大変だが、そうやってこそ名作はできる。現に50年近く経過しても黒澤作品などは今でも残っている。全員が集中して映画に関わることを、今の日本映画界は忘れているのでは」
誰一人として参加していないものはいない撮影。全員の熱がカットに注がれ、その積み重ねから名シーンが生まれる。木村は、「それが日本映画の良さだ」と断言する。とすれば冒頭の言葉はこう言い換えることができる。
---かつての日本人には、思い出の土台となるすばらしい映画があった。それを未来に残すために、何かをしなければならない---
日本が本来持っていた映画の作り方こそ、日本映画の祭発展に必要なもの。活動屋木村大作は、そう考えている。
生年月日:1939年7月13日 出身地:東京都
初撮影監督作:「野獣狩り」(1973年、須川栄三監督)東宝撮影所撮影部にキャメラ助手として入社し、主に斎藤孝雄氏、村井博氏に師事する。1973年、「野獣狩り」で初めて撮影監督を務める。1977年、「八甲田山」で第1回日本アカデミー賞優秀技術賞、第21回三浦賞を受賞したのち、様々な映画の撮影賞を受賞。毎日映画コンクール撮影賞は、第36回(1981年)「駅」、第52回(1997年)「誘拐」の2度受賞している。近年の作品は「赤い月」(2004年、降旗康男監督)など。2003年秋、紫綬褒章受賞。