[ 第1回 ] こんなことやっててお金もらえるならって女優の道に
----「女優」という仕事を始めたきっかけから、教えていただけますか?
偶然というか、「たまたま」が重なって、いつの間にかこの仕事に就いてました。大学に入っても、自分が何をしたいのかも分からなくて、就職先を探そうにも、ろくに勉強をしていないから、なかなか見つからなくて。でも、何か手に職をつけたいと思っていたんですね。そんな時に、たまたま周りに演劇をやっている友だちがいて、お芝居には関心はなかったんですけれど、照明に興味があったんです。それで文学座の研究所に入ったんです。
――女優を目指して文学座に入ったんじゃなかったんですか?大学も文学部で、演劇について学ばれていますよね。
大学は文学部の演劇専攻というところだったんですが、それはそこしか受からなかったからです。演劇についてもほとんど興味はなかったですね。あ、知り合いの劇団で、チケットの「もぎり」の手伝いをしたことがありましたけど(笑)。それで、文学座にはいって1年後に、研究所の先生に「NHKのオーディションを受けてこい」って言われて。
----何の番組だったんですか?
それが『マー姉ちゃん』です。当時23歳で、18歳の熊谷直美ちゃんの妹役でした。それに受かって、「まあ、こんなことやっててお金をもらえるならいいかな」と思って今に至っています。オーディションでは、「おでこ、みせてくれる」って言われて、変なこと言うなあと思いながら、おでこを見せた覚えがありますね。帰り道、なんだか惨めな気持ちでした(笑)。もし落ちてたら、わたしどうしてたんでしょうねえ。
----毎日映画コンクールでは第38回の「天城越え」で女優主演賞を受賞。今や数々の話題作に主演してきたトップ女優です。
でも数は少ないですよ。
----あ、そうですか。
ええ。本当に少ないです。『嵐が丘』以降、少しお休みしていた時期もありましたから。
----依頼があっても断るのは、どういう理由ですか?
脚本を読んででしょうかねえ。でも、偉そうな意味でお断りするんじゃなくて、私は「何でもやれば出来る」って思うほうじゃないんです。脚本に、確実に一つか二つは「そうだな」って共感できて、やってみようと思わないと私には難しいんです。映画は長丁場ですし、体力が要りますから。
----脚本に共感しているから、田中さんの演技は自然に見えるんですね。
自然に見えますか。そうですかねえ。
生年月日:1955年4月29日 出身地:大阪府池田市
映画初出演作:「日本フィルハーモニー物語 炎の第五楽章」(1981年、神山征二郎監督)明治大卒。文学座に入り、1979年、NHK「マー姉ちゃん」の長谷川町子役でデビュー。映画では「ええじゃないか」(1981年、今村昌平監督)、「北斎漫画」(1981年、新藤兼人監督)で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞・新人俳優賞などを受賞。「天城越え」(1983年、三村晴彦監督)では娼婦役で注目を浴び、第38回毎日映画コンクール・女優主演賞をはじめ、その年の各賞を総なめにした。以降「嵐が丘」(1988年、吉田喜重監督)「大阪物語」(1999年、市川準監督)、「ホタル」(2001年、降旗康雄監督)などで着実にキャリアを積む。近年の出演作は「火火(ひび)」(2005年、高橋伴明監督)、「いつか読書する日」(2005年、緒方明監督)など。