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映像夢工房

早稲田大学

安藤鉱平教授(&映画監督)インタビュー

ちがうことをやりながら、いつの間にか映画の世界に

Q 今なぜ「早稲田で映画」なのでしょう?

たとえば小林正樹さん、今村昌平さん、篠田正浩さん、最近では小栗康平さん、是枝裕和さん、これは監督ですけどみんな早稲田です。また、映画監督協会のかなりのメンバーが早稲田もしくは早稲田中退で、脚本家になるとその比率はもっと高くて昔は早稲田だらけでした。プロデューサーも多く、映像・映画業界の中で早稲田出身はものすごく多いのです。しかし、昔から早稲田には映像教育を専門にやるような学部はありませんでした。わずかに文学部に演劇・映像を学ぶところがありますが、アカデミックな演劇、映像研究が中心です。

早稲田出身の監督やプロデューサーに、大学で何を学んだか聞いても、皆、定かじゃない。篠田さんは近松門左衛門は勉強したが、あとは走るのが好きで、新宿まで映画を見にいつも走っていたと言う。走りながら走馬灯のように見える街の風景、世相、進駐軍の米車に乗った女の真っ赤な口紅、それらが自分の映画を作ったとおっしゃる。小栗さんも、文学部だけど、ほとんど授業はさぼって映画ばかり見てたようです。

だれも、大学で映像のことを本格的に学んだわけではなく、大方は何かちがうことをやりながら、いつの間にか映画の世界に入ってきている。それは私も同じです。

そしてこれはとても大事なことなのですが、早稲田にはどうも独特の香りがする何かがある。篠田さんに言わせると、それは、きらびやかで、なにか胡散臭く、それでいて人間のエネルギーを感じさせる“新宿”という街がそばにあるからだ、と言います。映画というのは、描こうとしているものは、結局、“人間”なんです。人間を知ることこそ映画を学ぶことです。どうも、早稲田には“人間”を学ぶ自由で多様な環境が揃っているようです。

撮影所で映像を教える教育システムが崩壊してしまっている今、映像を学ぶ場所は大学に委ねられています。そういう意味では、早稲田はとても魅力的なところだと思います。
(以下次号)

あんどう こうへい 1944年 東京都生まれ
パリ留学後、寺山修司の天井桟敷に在籍。TBSを経て、現在、早稲田大学大学院国際情報通信研究科教授。
69年「オーマイマザー」(オーバーハウゼン国際映画祭入賞)、71年「息子達」(トノンレバン国際映画祭グランプリ)、94年「アインシュタインは黄昏の向こうからやってくる」(HD。ハワイ国際映画祭銀賞)、98年「フェルメールの囁き」(HD。モントルー国際映像祭グランプリ)などの作品がある。


製作現場の生の声が聞けるのがうれしい

教育学部4年
毛塚俊太

「プロデューサー志望です。この講座は、現場の第一線で活躍しているプロデューサーの生の声が聞けるので、毎回楽しみにしています。
一流中の一流の方のお話を聞けるのは幸せですね。プロデューサーというのは、幅広くいろんな現場に飛び込んで話を聞いたり、刺激を受けたりするので、そういう仕事がしたいと思っています。イベントをやって何10万単位の計算をしているので、数字の話はスケールが大きすぎて実感がちょっと湧きませんが。とりあえず大学を出たら制作現場に入っていきたいと思っています。」


「プロデューサー特論」(オープン教育センターカリキュラム)

濱名一哉氏 (TBSコンテンツ事業局次長)
2006年11月9日 西早稲田8号館-101にて

「日本沈没」「涙そうそう」「木更津キャッツアイ」「犬神家の一族」「NANA」など数々のヒット作のプロデューサー。ヒット作の収支と、不振作の収支など具体例に基づいたわかりやすい講義に定評。