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映像夢工房

早稲田大学

安藤鉱平教授(&映画監督)インタビュー

アナログの心でデジタルを扱う。「泣きながらホタルを飛ばす」技術者に(連載第3回)

Q デジタル全盛ですが、アナログの心を忘れてはいけないとおっしゃっていますね。

この間山田洋次さんが「武士の一分」という映画を撮りました。東京国際映画祭で対談をやったんですが、その映画のなかのホタルの話がおもしろい。目が見えなくなったキムタクが「そろそろホタルの時期だな」って妻に言う場面がある。妻は「そうですね」と答える。「まだ出てないか」と聞かれて妻は「ええ、まだですよ」と言うんだけれど、実はすーとホタルが表に飛んでいる、という胸にしみる場面があります。このホタルが実はデジタルなんですが、これが大変だった、と山田監督はおっしゃるんです。ホタルなんていうのは昔は小さい電球を釣竿で吊るして撮ったんです。あ、テグスが写っちゃったなんていいながら、5人も10人も寄ってたかってホタルを飛ばしたんだけど今は違います。優秀なデジタルの技術者がいて、実際にホタルの映像もあるから、どのように飛ぶかもよく知っている。でもそれが芝居にあってなきゃいけない。目の見えない夫が妻に「ホタルは」と聞くと妻は「まだですよ」というその情緒に合わせてホタルが飛ばなきゃいけない。山田さんはその技術者に、「このシーンをわかってくれ。君がキーを操作するときには涙を流しながらやってくれ」と言ったというんですね。

現実のホタルがいいタイミングで出てくるかどうかわかりませんが、山田さんの映画の中ではここしかないというタイミングで、ポッと止まって、ふわっと光る。そこに二人の想いが象徴される、という形にならないといけない。まさに「ホタルが芝居をする」わけですよ。山田さんは単にリアルを求めているのではなくて、山田さんの世界をどう表現するか、ホタルが人間に成りかわってどう表現するのか、ということなんですね。だからアナログのセンスを持ってないとデジタルは扱えない、と僕は思います。「泣きながら、ホタルを飛ばしてくれ」という言葉の中に、その極意が凝縮されていると思いますね。僕が学生をわざわざ京都の太秦スタジオに連れて行くのは、そんなアナログの世界にしっかり浸ってほしいと思うからです。
(以下次号)

あんどう こうへい 1944年 東京都生まれ
パリ留学後、寺山修司の天井桟敷に在籍。TBSを経て、現在、早稲田大学大学院国際情報通信研究科教授。
69年「オーマイマザー」(オーバーハウゼン国際映画祭入賞)、71年「息子達」(トノンレバン国際映画祭グランプリ)、94年「アインシュタインは黄昏の向こうからやってくる」(HD。ハワイ国際映画祭銀賞)、98年「フェルメールの囁き」(HD。モントルー国際映像祭グランプリ)などの作品がある。


軌道に乗ってきた「市民と学生の映画作り」

財団法人 本庄国際リサーチパーク研究推進機構事務局長 岡田隆行さん

「市民と学生の映画作り」は、当初から大学とフィルムコミッションの間で進めてきました。フィルムコミッションの会長は市長ですから、その事務局も最初は市役所にあったんですが、途中から商工会議所に移りました。やはり民間の自発的なパワーで動いていくのが自然なようで、現在は非常にうまく機能しています。

「スパイ・ゾルゲ」のときは学生はまだ参加していません。フィルムコミッションが頑張って市民と一緒に作ったんです。学生と一緒にやるんなら彼らを育てる教授がいなきゃいけないだろう、という篠田監督の一声で、安藤先生に白羽の矢が立ちました。映画人を目指す学生たちが集まったのはそれからです。3年前、安藤先生が本庄に来て初めて、ぼくが一番やりたかった「市民と学生の映画作り」がスタートしたのです。

学生と市民の間も時にギクシャクすることはあります。でもそんなことは無視してやってきました。マラソンや山登りと同じで、途中ではさまざまな不満も出る。じゃあ映画作りをやめようか、と聞くと、やっぱりやってほしい、となります。あるロケのとき、市民の方が『シャッター通りといわれて何もなかった本庄だけど、映画づくりで自信が持てるようになったね』と話しているのを聞いて、やって良かったな、と思いました。みんな協力的ですよ。道路も封鎖して町ぐるみでロケの態勢をつくるわけですから。エキストラの常連もいますしね。  学生の技量もどんどん上がってきていて、早稲田大学芸術・科学センター(旧NICT)のすばらしい設備と機能を使いながら映画作りに本格的に取り組めるようになってきました。これがどんどん発展してゆけば、何もコワイものがない、と思いますね。(つづく)