奥さんの嫁入り道具は山のようなフィルムに化けました(連載第8回)
Q TBSにいながらよくインディペンダントな映画作りが出来ましたね。
TBSには寺山さんの原稿を届けによく行ったんですよ。当時TBSには寺山シンパもいっぱいいてずいぶん親切にしてもらいました。いい会社だなと思って受けてみたら受かっちゃったんで、寺山さんに「TBS受かったんだけどどうしよう」って相談したら、「一人ぐらいスパイがいたほうが絶対いいから、おまえはいれ」って言われて入社したんです。
入社して3ヶ月ぐらいで会社を休んで天井桟敷のヨーロッパ公演についていっちゃったわけですから、今から考えればずいぶん無茶な話です。勝手にインディペンダントな映画は撮るし、天井桟敷の何かがあるとすぐ休んでどっかへ行っちゃう。ふつうならクビになるところですが、その頃TBSは儲かっていましたから一人ぐらい変なのがいても許してもらえたんですね。
僕が撮る映画のプロデューサーはうちの奥さん。というのは、奥さんのお金を使ってフィルムを買うわけですからね。うちの奥さんは種子島の名家の出身で、結婚するときも古いしきたりがあって、三面鏡とか桐の箪笥とかいっぱい持ってくるつもりだったんだけど、“今のアパートは狭くて置く場所がないから、大きな家を建てたときに買えばいいじゃないか”とか言って、全部現金で持ってきてもらったんです。それが全部フィルムに化けちゃった。今、相変わらず小さい家に住んでますけど、フィルムだけは山のようにある。うちの奥さんに「これ何とかしてよ」って言われるんだけど、「これ全部君のものだよ」って言ってるんですよ。
「オーマイマザー」を撮った頃、日本ではアバンギャルドな映画はほとんどダメで、発表する場所がなかった。ヨーロッパやアメリカではショートフィルムの映画祭も盛んで、オーバーハウゼンというのもそういう映画祭のひとつでした。特に海外を狙ったわけではないんですが、発表の場が日本にはなかったんです。それがたまたま賞を取ったので、今度は「息子たち」という作品をフランス・トノンレバンの国際映画祭に出品したんです。
(以下次号)
あんどう こうへい 1944年 東京都生まれ
パリ留学後、寺山修司の天井桟敷に在籍。TBSを経て、現在、早稲田大学大学院国際情報通信研究科教授。
69年「オーマイマザー」(オーバーハウゼン国際映画祭入賞)、71年「息子達」(トノンレバン国際映画祭グランプリ)、94年「アインシュタインは黄昏の向こうからやってくる」(HD。ハワイ国際映画祭銀賞)、98年「フェルメールの囁き」(HD。モントルー国際映像祭グランプリ)などの作品がある。