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早稲田大学

安藤鉱平教授(&映画監督)インタビュー

ひたすら撮り続けた映像は、国内ではなく海外で爆発した(連載第9回)

Q グランプリはニュー・ジャーマン・シネマの巨匠たちに並ぶ快挙ですね。

フランスのトノンレバンという国際映画祭ですが、インディペンダントな映画作家が集まる注目の映画祭でした。当時、ニュー・ジャーマン・シネマが颯爽と登場した時期で、ヴィム・ヴェンダースや、ファスビンダーが軒並みグランプリを取っていたんです。僕が応募したときは、ヴィム・ヴェンダースが前年のグランプリで審査委員長、そのときに僕がグランプリを取ったので、翌年は招待されていた僕がファスビンダーにグランプリを渡したんです。

 朝日新聞の記者が電話をかけてきて、安藤さんの作品がグランプリだ、というんですけど、安藤さんて何してる方なんですかって聞くんですよ。今なら大騒ぎですけどね。当時は外電から入ってきた情報なんで、こちらの記者は何も知らない。まあ僕の映画は一般的には上映されてませんから、無理もないかもしれませんけどね。だからもう、何なんだこいつは、という感じだったんでしょうね。少し調べれば、ヴィム・ヴェンダースやファスビンダーの間に入ってグランプリを取ったんだから、大変なことだってわかるんですけどね。

TBSにいましたけど、ボーナスをもらうと映画に化ける、という状態でね。萩原朔太郎の孫の萩原朔美なんかと一緒に3人ぐらいでサークルを作って撮ってたんです。僕はカメラ持ってるでしょう。でもフィルムがなくなるわけですよ。そうすると朔美に「カメラ売るからフィルムくれない?」って頼むんです。その間カメラは借りといて、終わったら朔美にカメラを渡すんです。今度はヤツが撮るんですけど、必ず「冷蔵庫にはいってるフィルム持ってきて」と頼んできます。そうするとカメラは今度は僕のところに戻ってくる。いつも3人ぐらいの間をカメラがぐるぐるまわってるんですね。そんな状態で撮った作品が、賞を取ったんですよ。

テレビ局にいて変な映画ばっかり撮っていたわけですが、ハイビジョンの導入のときはそれが生きたんですね。テレビ局にはフィルムのことが分かる奴はだれもいなかかったので、お前やれ、ということになったんです。ハイビジョンは民放にとっては重荷でしたが、ぼくには映画に近いからおもしろかった。それが「アインシュタインは黄昏の向こうからやってくる」(ハワイ国際映画祭銀賞)94年や「フェルメールの囁き」(モントルー国際映像祭グランプリ)98年につながっていったんです。
(以下次号)

あんどう こうへい 1944年 東京都生まれ
パリ留学後、寺山修司の天井桟敷に在籍。TBSを経て、現在、早稲田大学大学院国際情報通信研究科教授。
69年「オーマイマザー」(オーバーハウゼン国際映画祭入賞)、71年「息子達」(トノンレバン国際映画祭グランプリ)、94年「アインシュタインは黄昏の向こうからやってくる」(HD。ハワイ国際映画祭銀賞)、98年「フェルメールの囁き」(HD。モントルー国際映像祭グランプリ)などの作品がある。