口も聞いてくれなかったオヤジが、最後に1回だけ映画を見に来てくれた
Q 映画作りのご苦労というのは、身近な人にもなかなか理解してもらえなかったんでしょうね。
監督というのは因果な商売でね。オヤジには今でも申し訳なかったと思っています。オヤジはもともと自分では文学者になりたかったという人なので、芝居や映画には本当は興味があったと思います。ただ、ぼくに理科系の頭があるんだから、早稲田の理工を受けろ、といったのはオヤジですから、ほとんど理工の勉強をしないで芝居なんかに没頭してる息子を許せない。だいたい天井桟敷なんてわけのわからない芝居で食っていけるのか。おまけに寺山修司の本なんか読んだら、とんでもねえ奴だ、というわけで、勘当状態だったんですね。さらに追い討ちをかけたのは、せっかくTBSにはいったのに今度は映画に狂ってる。そんな調子ですから、オヤジとはまともに口を聞ける状態じゃなかったんです。
そんな勘当同然の状態が長く続いていたんですが、たしか「アインシュタインは黄昏の向こうからやってくる」(ハワイ国際映画祭銀賞・94年)のときに銀座で上映会をやって、そのあとで篠田正浩さんと対談をやったことがあるんです。対談をしていたら、客席の後ろのほうでオヤジが見てるんですよ。びっくりしましたね。だまって見に来てくれたんですね。ああオヤジが来てくれたんだ、と思ってね。対談が終わって探しにいったらもういなかったんですよ。
見に来てくれたオヤジと話をしたいとずっと思っていたんだけど、なんとなくタイミングが合わなくて話ができないでいたら、オヤジが急に倒れたっていう電話がきたんです。それもぼくがロケに行ってるときにね。ロケが終わって飛んで帰ったんだけど、オヤジはもう亡くなってましてね。ひと言「ありがとう」って言いたかったんですけどね。つくづく映画監督っていうのは親不孝な商売だなって思いましたね。言い方を変えれば、映画っていうのは、それぐらい人を惹きつけてやまない世界だ、ということですね。
あんどう こうへい 1944年 東京都生まれ
パリ留学後、寺山修司の天井桟敷に在籍。TBSを経て、現在、早稲田大学大学院国際情報通信研究科教授。
69年「オーマイマザー」(オーバーハウゼン国際映画祭入賞)、71年「息子達」(トノンレバン国際映画祭グランプリ)、94年「アインシュタインは黄昏の向こうからやってくる」(HD。ハワイ国際映画祭銀賞)、98年「フェルメールの囁き」(HD。モントルー国際映像祭グランプリ)などの作品がある。