取材:早稲田大学芸術科学センター(本庄市)にて 2008年8月2日
本庄にある早稲田大学芸術科学センターで、テレビ草創期の不朽の名作「私は貝になりたい」のリメーク版のデジタル編集がこの夏実施された。監督・スタッフたちのこの映画に賭ける熱い思いと芸術科学センターでの作業の模様をレポートする。
戦後間もない白黒テレビ時代の大ヒット作
テレビの草創期。まだ画面が白黒の時代の昭和33年(1958年)にドラマ「私は貝になりたい」は制作された。フランキー堺主演の番組は大ヒット。第13回芸術祭テレビ部門大賞を受賞するなど、テレビ史上に残る名作となった。
ストーリーは、この日米戦争でのこと。ひとりの兵士に上官から米軍捕虜を処刑するよう命令が下る。実際には腕を銃剣がかすっただけなのだが、復員後BC級戦犯として逮捕され、捕虜殺害の実行犯と見なされ死刑を宣告されるのだ。無名の一庶民の真実の叫びがかき消され、家族から引き離されていく戦争の悲劇を描いたもの。
テレビドラマの福澤克雄の初監督映画

---映画監督の第一作目なんですね。
福澤: ええ、そうなんですよ。脚本の橋本忍先生のところにお願いに行ったんですけど、一作目だからやらせてくれたんでしょうね。ぼくなんかテレビ出身だしよくわからないやつですよ。本来だったら橋本先生のブレーンで優秀なベテラン監督がやるところを、一作目だから「いいだろう」って言ってくれたんでしょうね。ありがたいと思っています。
---橋本忍さんはこの映画に対してどんなことをおっしゃっていましたか。
福澤:「ぼくは今まで台本を直したことはないんだよ」「でもこの作品には直したいところがあるんだ」っておっしゃるんで、「ぜひお願いします」って頼んだんです。あの当時のテレビの技術ではまともにロケも出来なかった。夫婦の出会いとかいくつか手を入れたいところがある、と。それと、黒澤監督などからこの作品は橋本忍の脚本としてはB級C級だと言われていたという経緯もあったそうです。脚本に手を加えるだけではなく、編集にもしょっちゅう見えて、沢山アドバイスをいただきました。---この映画の見どころや言いたかったことは。
福澤: ひとつは、いっさい血が出てこない反戦映画ということです。暴力や殺戮ではないところで反戦を訴えたかった。それと、おそらく1週間何も食べないで役作りをした中居君の迫真の演技ですね。うまい下手を超えた役者の魂を見せてくれました。---この芸術科学センターの編集体制について
福澤: 劇場と大差ないこの大きなモニターを見ながら編集できるのがありがたい。小さいモニターで編集すると、最終的にフィルムにして試写をやったときに「あそこをもうちょっと」ということが出てくるでしょう。デジタルですからその場で修正出来て、しかもスタジオと直結していて音も出せる。作る側にとっては最高の環境だと思います。



中居正広主演「私は貝になりたい」早稲田大学芸術科学センターで渾身のデジタル編集【第2回】>>